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俺らのタイ開業独立列伝

尾野 和弘 (おの・かずひろ)
神奈川県出身 1973年生まれ
Sincerity Co., Ltd.
「まごころ」豚骨ラーメン屋運営
95/9 Thonglor Soi 3 Sukhumvit 55 Rd. Klongtan-Nua Wattana Bangkok 10110
Tel 02-712-5209

魂の一杯、情熱の豚骨ラーメン

相反の妙味、こだわりのスープ
 今やバンコクで一番のラーメン激戦地区となったスクンビット55通り、トンロー。日本の大手ラーメン・チェーンも軒を連ねる、その激戦区の中に今年1月、個人で乗り込んできた男がいる。「まごころ」という看板を揚げた豚骨ラーメンの店、その店を仕切る尾野和弘(以下尾野・敬称略)である。「ラーメン屋として、またいち飲食店としても、当たり前のことが、当たり前にやれる店。まずこれが一番じゃないですかね」その尾野の言葉には、このバンコクで商売を始めるだという信念、そしてやるからには絶対成功させてやるぞという強い決意が感じられる。威勢のいい声と笑顔で迎えてくれる従業員。タイミングよく運ばれてくるラーメンや料理。皆が生き生きと、またきびきびとと働く姿に、ここは本当にタイなのかと疑いたくなる。また日本の豚骨ラーメンそのものの、細くて腰のある麺は毎日、尾野が店舗で仕込む。「女性でも抵抗なく口にして貰えるように、豚骨スープでありながら、『あっさり』というよりは『さっぱり』した感じに仕上げるように心がけています。こってりとしたコクと『さっぱり』という、相反するものを上手く微妙に両立させるのが難しいですね」尾野の豚骨スープへのこだわりである。2008年1月31日のオープンからまだ3ヶ月。大きく広告を出してはいないが「まごころ」のファンは着実に今、増え続けている。

最初の独立は花屋
 とにかく勉強が嫌いだった。毎日夜遊びばかりしていた。でもそんな尾野にも夢はあった。とにかく独立をするぞ。体を動かす仕事が大好きで、体力にも自信があった尾野。転機は、なんと母の死であった。母の死後、仏壇に上げる花を買いに花屋を訪れた時の事である。花屋の主人の働く様子を見ていて尾野はピーンと来たのであった。花屋のシステムは男の仕事だ。これまで花など買ったことのなかった尾野は、花屋の仕事は女の仕事とばかり思っていたから、自分自身でもその発見に驚いたという。花は市場に行き、競りで買ってくる。鮮魚と一緒だ。当然現場を仕切るのは男である。生花に興味を持った尾野は花屋で1年半修行。そして、神奈川でビルの軒下を借り、自分の花屋をスタートさせたのである。尾野の最初の独立だ。店舗を構えずにビルの軒下を借りてオープンさせたのは当然お金がなかったからだ。しかし、軒下で商売ができるというのは花屋の強みである。しかし、尾野の花屋の主人としての生活はそう長く続かなかった。「最初に店を始めるときに3年で1000万円貯め、それからどうするか考えようと決心していたんです。別に花屋をやるのが目的ではなく、あくまでも自己実現のための手段でしたから・・・。花屋が儲からないなら貴重な自分の時間をだらだらと使うのは勿体無い。花屋をやめるのに、ためらいや未練は全くありませんでした」

ラーメンの世界へ
 実は尾野には次の計画が準備されていたのである。それはラーメン屋であった。料理の経験など全くなかった尾野。この年になって一から日本料理の修業というわけにもいかない。でもラーメンなら、とっつきやすそうである。ラーメン屋なら自分でも、なんとかなるんじゃないか?それにラーメン商売、当れば大きい!そんな目論見が尾野にはあった。そして都内の有名店で半年修行をした尾野は、いよいよ自分のラーメン屋を開業すべく動き出したのである。しかし、結局、尾野はラーメン屋の立ち上げに失敗。糊口をしのぐべく知人の紹介で建設関係の仕事へ就き、しばらくすると一人親方として現場を渡り歩くようになったのである。

夢を再び
 きっかけは他愛のない世間話だった。「建設以外の仕事もやりたいんだけどさ」「ラーメン屋やります?」一人親方として建設現場を渡り歩いていた尾野。その尾野の取引先の社長との会話であった。歳も3つ4つ程しか離れていない分、よく気があった。そしてその社長が「ラーメン屋をやるんだったらタイのバンコクでやってみないか」と持ちかけたのである。しかし、尾野はその話が出るまで、タイを何処かの遠い国ぐらいにしか思っていなかった。当然タイへ行くのも初めてである。2007年10月、初めてタイに来た尾野の感想は「ここなら住むことが出来そうだなぁ」だった。そしてバンコクでテナント探しをし、日本へ一時帰国。日本でも実はテナント探しをしていたが、翌月の11月に再度タイを訪れた尾野は現在の店舗を借りるべく賃貸契約を交わしたのである。ある種の流れがそこにはあった。しかし、尾野にとってタイでの開業は十分に考え抜いた上での結果であり、最良の選択という信念に揺らぎはなかった。尾野の夢が猛スピードで現実へと向かっていく。2007年12月の16日の工事着工から1ヵ月半。2008年1月31日に「まごころ」がトンローに誕生。予定から2週間遅れの開業であった。

■ここはタイだ!
 
尾野が場所選びで一番に考えたのは、バンコクの何処に日本人が一番多く住んでいるかだった。結局、ほかの多くのラーメン店が軒を連ねるトンローになったのである。「確かにラーメンという部分、ジャンルでは他の店と同じかもしれません。しかし、他の部分が違うんです。カップ麺だって色々な種類があるじゃないですか?まだオープンして数ヶ月ですから大きなことは言えませんが、逆にここトンローで生き残れるのなら面白いんじゃないですかね」タイでラーメン店を始めてというより、生活を始めて一番にぶつかった問題が「ここはタイだ!!」であった。つまり日本じゃないということ。当然の事ながら、その違和感に尾野はとにかく戸惑った。でもタイだからといって逃げるのは違う、そう尾野は自分に言い聞かせ続けたという。素材が日本とは全く違う。だからといって日本から持ってきていたのでは割に合わない。結局、カンスイの調合まで自分で手掛けなければならない。スープや料理だけでなく接客も妥協をしない。大きな声と柔らかい笑顔。「なんとなくが嫌いなんだ。タイだからって、あきらめたくもない。やると決めたんだからやる。それだけなんですよ」

■本当に味わって欲しいのは
 
「もっと、もっとタイ人のスタッフに責任を与え、任せられるようにしたいですね。職人として、そして一人の人間として立派に育って欲しい。そうなった時点で次の展開なり展望が見えてくるんじゃんないでしょうか」友人の多くは、そんな尾野の意見を無理だという。でも自分一人に出来ることには限界がある。だから諦めたくない。尾野の魂と情熱のこもった1杯のラーメン。「旨くて当たり前、本当に味わって欲しいのはスタッフの『まごころ』です」そう胸を張って尾野が言える日も、そう遠くはないだろう。「まごころ」本当に大切にしたい、いい言葉だ。

(取材構成・丈治利夫)
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